「君に期待しているよ」
「あなたならやれる!」
そんな周りの人からの期待に応えることができたことで、次のやる気につながっていくということはあります。
ですが、期待されることや、期待に応えることに疲れちゃうことだってありますよね。
期待に応えない!あなたの人生を生きていい理由
あなたの人生だから
あなたがどんな人生を生きたとしても、最終的に責任を取るのは誰なのか?
責任を取る人
自分
不利益も、利益も自分に寄りかかってくることを避けれません。
例
- 犯罪に誘われて警察にお世話になった:誘った人のせいにはできない
「あなたが期待したから、頑張ったのに!責任とってよ!」
後から責めたところで責任なんてとってくれません。
罪悪感が残ることはあったとしても、責任をとることなんて無理です。
あなたに期待している人が、親だって、教師だって、誰だって同じです。
どうせ責任までも自分で背負い込まないといけない人生なのだから。
それだったら、「人がどう期待しているか」よりも「自分でどう生きたいのか」決めるというのがいいですよね。
やりたくないことは心や体にダメージを与える
期待されていることと、あなたのやりたいことが一致している。
それならいいです。
ですが、期待されることが、あなたのやりたいことと一緒とは限らないですよね。
もしも、それがやりたいこととはかけ離れていたとすれば、あなたはしんどいだけ。
ポイント
期待に応えるのが自分の思いとは違う場合や負担になる→心が疲れる
期待に応え続けることで無理をする→疲労がたまり倒れてしまう
人には限界値というのがあり、それを超えて頑張り続けると心や体にどうしても支障が出てしまうんですよね。
だから、無理な状況というのは長く続けることはできません。
心か体のどこかで悲鳴が出てしまうんですよね。
自分の心に嘘をつきながら頑張ると心が疲弊し、体力的に無理をすると倒れてしまう。
だから、期待に応えるというのもほどほどにし、自分の人生を生きましょう。
期待を全部叶えるのは無理
誰かの期待に応えれても、あの人の期待に応えれないということは起きます。
じゃあどうすればいいの?
- 自分のやりたいことをやるという方向に舵を変える
周りの期待の全部に応え続けるというのは、実際には無理なんです。
そうとわかれば、自分の人生を生きちゃった方がいい。
あなたの価値は変わらない
でも、期待に応えられないからと言って、あなたがそれまでのあなたから何か減ってしまっているのかというと何も変わらないんですよね。
- 期待に応えても、応えられなくてもあなたであることに変わりはありません
あなたという人の価値というのは、どんな人生を生きたとしても変わりません。
「誰かの期待をベースに考えた人生」ではなく、「自分としての人生を生きてそのついでに期待がある」くらいの方が楽なんですよね。
誰かのために頑張る人生も素敵ではありますが、それはあなたのやりたいことの延長線上にあるからうまくいくんです。
あなたの求めるものの枠からそれすぎた期待なんて無視しちゃいましょう。
あなたが期待に応えられないほどに期待されるのはどうして?
あなたの頑張りはわからないから
自分の努力ではうまくいかないほどの期待というのは、ただの重荷にしかなりません。
疲れますよね。
でも、それが起こってしまうのはどうしてかというと、あなたの頑張りが目に見えないからです。
わからないのはどうして?
- 期待する人が、能力が高く簡単にできてしまうためにあなたの苦労を理解できない
- 期待する人が、あなたがそんなにも努力をしているということや、期待が重荷になっているということを知らない
「そんなに頑張っていたのを知らなかった」
「大変な思いをしていたんだ」という、
今の現状を知ってもらうというのは大事です。
知らない、見ていないものはわからないのが人間です。
自分をベースにどうしても物事を考えてしまうので、ズレてしまうんですよね。
あなたが苦労をして今の現状を維持していると知れば、期待する内容は変わることもあります。
あなたが期待に応えてくれるから
あなたがそれだけ魅力的なこともあるのでしょう。
あなたが期待をどんどん達成してくれると、「次は何をしてくれるのかな?」という更に大きな期待が膨らみます。
あなたが期待を満たすということをやり遂げてくれるからこそ、大きな期待になってしまうということがあるんですよね。
それだけ、あなたが才能豊かなために過大に期待をしてしまうんです。
自分にやり残してしまったことがある
後悔を後悔で終わらせたくない思いというのはありますよね。
ですが、
- 自分ではどうしようもできない。
- もう叶えることができない。
そんな時に、あなたがその後悔を埋めてくれるような存在だとすれば、期待というのは大きなものになったり、過剰なものになってしまったりすることがあります。
人生のやり残しというのは、心にどうしてもとどまってしまいうまく消化されないものになってしまうので、人に過度に期待を押し付けないように自分も気をつけたいですよね。
期待するのは簡単にできちゃう
あなたの中の目標値を超えて期待をしてしまったりすることも簡単なんですよね。
あなたにとってそれがどんなに努力が必要なことだったとしても、期待するだけなら簡単にできちゃう。
そして、その期待をするということにも無責任でもいい立場なら尚更です。
簡単だからこそ過剰な期待につながってしまうんですよね。
まとめ:期待に応えない!あなたの人生を生きていい理由
自分の人生は、自分のためにあります。
誰かのために生きるという人生を生きるのも自由です。
ですが、自分を偽るほどであったり、負担に思うほどであるのであれば、背負いすぎてしまっています。
「期待」という名の鎖に縛られている感じがするのであるなら、解き放してみましょう。
あなたは「自由」ということを忘れずに。
期待に応えるというのはとても大変なことだけど、期待することは誰にでも簡単にできてしまうものなんです。
だから、期待に応える自分も、期待に応えられない自分も自分としての価値は変わらないということを知り、あなたの人生を思い切り生きてくださいね。
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